昔の森林浴
むかしむかしのことじゃた~♪
じいちゃんは野良仕事が暇になる頃には、趣味で山に入ったんです。
その時は朝も暗いうちから、馬を引いて出かけます。
そう、我が家には馬がいたのです。
戦争で使われた馬を払い下げしてもらって、農耕馬に使ってました。
その馬は私も幼い頃、知ってます。カイバ桶という容器に藁を切って入れ、野菜や糠などを混ぜて飼料にしていました。
じいちゃんは弁当を二食分とソバの粉を袋に入れ、干した梅干しなどを持って行ったそうです。
家からは真っ直ぐ富士山の裾野に広がる民有林へ出かけるのです・・1合目辺りまでの15~20kmあるでしょうか・・これは、仕事と云うより趣味の範囲です。 山を見回り下草を刈り、枝を払う。
富士山の民有林の中はもっと昔は富士山信仰から社とか関係者の住居が山中にあったのです。その跡の石垣や畑の跡も残っている場所もあります。村山浅間神社はかつてはとても有名な富士山信仰のメッカでした。
じいさんの山林はその神社からは2kmほど北の斜面にある。
作業をしている間は馬は原っぱで待ち続けています。
お昼になると、火を焚き、湯を沸かして食事です。幼少の頃、数回付き合わされたので記憶にあります。
弁当のフタに自家製の味噌を入れ、ヤカンの湯を注ぐ。味噌汁である。残ったヤカンには、山に生えている山茶の枝を3~4本取ってきて
焚き火にかざして、炙ります。チリチリと炙ると、ヤカンの湯の中に入れるのです。
ぜいたくにも、お茶を淹れているのです。
じいさんは朝からずっと山に入ったままで、日が山の向こうに沈みそうになるまでいます。 帰りは家の近くの山にある水力発電所の灯りを
目指して山道を降りてくるのだと、よく聞かされました。
昔は、今と比べて闇夜というのは本当にまっくらいのです。月夜がある晩でなくてはそんな無茶はできない頃があったんですね。
非常食のそば粉、これは湯があれば「そばがき」にして醤油を着けて食べますが、湯がなくても、万一、川の水で練って食べても、お腹を壊さない便利な非常食だそうです。 わたしは口にしたことはありませんでした。
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コメント
小柄にみえるおじい様に、似合わぬほどの節くれた指。
その指が器用に 小枝を昼げに、しつらえる。
信仰の 社と神の 山森の中・・
おじい様と少年のひと時の影絵が心の会話を映し出すようです。
投稿: コノハナサクヤ | 2008年5月 9日 (金) 21時39分
おはようございます。
昔の人は、よく働きました。10を得る為に100働いていたと思います。
昨今のように、「楽をして手に入れよう」とか「上手く立ち回ってものにしよう」などと考えていると、心が不安定になり人相も険しくなると思います。
ひとつのものを得るのに、たくさんの努力をした人は、心が穏やかです。
昔の人が貧しくても尊厳があったのは、そういった努力を続けていたからだと思うのです。
すてきなおじいちゃんですね。
資料が多すぎて・・・少しづつ掲載してはどうでしょう。
オモイノタケは解かりますが、「見る人のこと」を考えて書いたほうがより良いと思われます。
新聞の小説みたいに。
投稿: ゆーみん | 2008年5月10日 (土) 09時07分
起用は・・・
器用です。 先生...(〃'∇'〃)ゝ
投稿: コノハナサクヤ | 2008年5月12日 (月) 20時10分